賓頭盧尊者



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釈迦仏がコーサンビーに在したある時、王は彼を尊重し、常に住して求法問訊した。
ある時、賓頭盧尊者が起立して王を迎えなかったことを、不信楽のバラモンの大臣が
見て悪心をもって王に告げると、王は「明日、まさに往くべし。もし起立せずば賓頭
盧の命を奪うべし」といった。翌朝、賓頭盧尊者がはるかに王が来るのを見て便ち遠く
迎え、先呼し、「善来大王」といった。王は「昨日はなぜ立って迎えなかった」と問うと、
尊者は「汝の為なり」と答えた。王は「「何が我が為か」と問うと、「昨日は善心を
もって来られたが、今日は悪心をもって来られた、もし我が立たなければ、まさに我
が命を奪うだろう。もし我が命を奪えば地獄に堕す。もし立って迎えれば、汝は王位
を失うであろうが、もしろ王位を喪失しても地獄には堕させん、と考えたので起立し
て迎えた」と答えた。王は「いつ王位を失うのか」と問うと、「却って7日の後に必ず
王位喪失す」と答えた。王は驚いて帰り、城を修治し集兵し警備した。しかし7日を過
ぎても敵が現れず、尊者の言を否定し多くの采女(うねめ)と船に乗り遊戯したが、慰
禅王国の波羅珠提王に捕えられ、7年間も禁固されたといわれる。       
仏が成道して6年後、ラージャガハ(王舎城)において、賓頭盧が白衣に対し妄りに神
通を現じて外道の嘲笑を招いたので、仏より、軽々しく神通を示現することを止めるよ
うに叱責された上、閻浮提(えんぶだい)に住することを許可せず、往って西瞿耶尼州
(西ゴーヤニーヤ州)を行化しせめられた。のち、閻浮提の四衆の請により、仏が賓頭
盧の帰るのを許すも涅槃に入ることは許さなかったことから、永く南インドの摩利(マリ)
山に住し、仏滅後の衆生を済度せしめ、末世の供養に応じて大福田となるといわれる。
賓頭盧は十六羅漢の第一に挙げられ、1000人の阿羅漢を所属し、西瞿耶尼州に住す
といわれる。                                              
(大阿羅漢難陀提密多所説、略して法注記からの典拠)



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