福知山城に久しぶりに行ってきました。数年前の面影はだんだんとなくなって、いささかがっかりしたような
時の流れを感じる次第です。 駐車場から、眺めるとお城の全景が見えます。昔は天守閣もなく、石がけだけだったのですが、現在ある天守 閣の場所には小さな小屋のような資料館があったことを覚えています。そこの管理人が鳩がたぶん好きだった のでしょう。たくさんの鳩を飼って、育てていたことを覚えています。 中学生の頃に鳩を見に自転車で、行ったのを覚えています。 |
少し遠くから、天守閣を写真で撮ると、緑の中にあるお城が見えています。春には桜の花が咲いて多分大変綺
麗だと思います。
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転用石で作られている城壁をつくっていいる石垣、穴太積みとして知られている石垣です。これは、多分明智
光秀が坂本城主(滋賀県の穴太と言われる地域)であったことを考えると納得できます。不均一な石をうまく
積み上げていって城壁にしているのは興味深いものです。
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天守閣のある同一敷地内に朝暉神社があります。昔は朝暉さんと呼んで、城蹟よりもこちらの名称を使ってい
たようです。朽木氏を祭っているようです。この人も現在の滋賀県高島市の朽木の地名(旧朽木村)として残
っています。
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お城の鯱(しゃちほこ)のサンプルが公園の中に展示しています。結構と面白いものです。
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音無瀬橋 (おとなせばし)のアーチと鯱の見える城郭から三段池(福知山の運動公園)方向の写真です。
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天守閣をしたから写真で撮った、ところです。上の方に鯱が見えます。
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今度は、天守閣の方角から、資料館の方を撮してみました。お城を意識してか、お城と同様の様式の建物があ
ります。
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お城の下に、お城の名称と記念美術館の看板がありました。
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最後に、全体的な写真をとっておきましたので見てください。
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まちおこしで、NHKの大河ドラマを誘致しようと頑張っているのは、面白いと思いました。こうして見ると、
明智光秀を通して、滋賀県の湖西地方とかなり深い関わりがあるようです。ちなみに大河ドラマの名称は「戦
国の世を生きぬいた親子・夫婦の絆 ガラシャ・光秀・幽斎・忠興」です。なんとなく笑ってしまいますね。
でも、町おこしをしようとするのは大切なことですね。(ちょっと不謹慎でした)
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