海宝寺

 京都市伏見区桃山町正宗

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山科の隣町に当たる伏見区の桃山城のあった近辺に戦国時代の武将の名前がついた街があちこちに残っていま す。例えば、伊達町、秀吉町などがあります。その中でも、伊達政宗をゆかりとした桃山町政宗、はじめはな んとも思っていなかったけれど、よく考えるとそこには桃山城があったところです。家来たちの名前がついて 当然なのでしょう。この海宝寺のそんな中にあります。
黄檗宗。享保年間(1716-36)万福寺の杲堂元昶が開創。寺地は伊達家の居館跡といわれ、方丈前に豊臣秀吉 遺愛の手水鉢がある。方丈襖絵「群鶏図」(現在は京都博物館所有)は、伊藤若冲晩年の作と伝える。普茶料 理の寺で知られる。伊達政宗手植の木斛(もっこく)があり、本堂内に位牌が納められている。
まず山門を入っていくと、観光寺院ではないので、華やかさはありませんが、お寺の納骨堂のようなものがあっ てその横に区民の誇りの木であるモッコクがあります。今は樹医によって修復中なのか全体に縄を巻いてありま した。
 
さらに進んでいくと、どこのお寺でもそうですが、お稲荷さまが祭ってあります。この寺もご多分にもれなく 祭ってありました。
 
黄檗宗になら必ずある、時を告げる大きな魚の形をした。木で作られた木魚がありました。
 
伊達政宗の伏見屋敷跡であったことを示す、立札があり、このあたりの昔の情景が窺い知る助けになります。
 
屋根瓦の鬼瓦も独特のもので二つがついになっていました。
 
山門の鬼瓦は親子の鬼瓦になっていてちょっと珍しく思った次第であります。
 
ほとんど歴史については知ることがなかったのですが、昔住んでいた街もこうして再度訪れると新たな発見があります。